葬儀業がビジネスとして確立されていなかった時代に、金融、証券など大企業がひしめく大阪・北浜で「公益社」が創業。葬儀業に集客という発想がなかった当時から、宣伝を活発に行い、廉価で誠意のこもった葬儀を施行し、知名度を上げていきました。

1934年頃から大手企業の社葬の依頼が次々と入り、大規模葬儀を手掛けるようになっていきます。また、1935年前後に発生した自然災害や大事故などの際、そして戦時中、ご遺体収容や葬儀施行を引き受けます。1941年には、葬儀事業に加えて、霊柩運送事業が加わり、二本柱となります。当時から「お施主の満足を得られる葬儀を」をスローガンに掲げて取組んでいました。

1950年頃から大手企業の社葬の依頼が増え、その後の経済の成長とともに、公益社も発展していきます。
高度成長期から安定成長期へ移行する1970年代、人々の生活環境が変化するにつれて、葬儀を行う場所が自宅から葬儀場へと変化していきます。白鳳時代の寺院の様式を模した大斎場で、全国でも近代的な葬祭センターの先駆けといわれ、公益社の「千里会館」は1971年に完成しました。

個人葬の会館需要が増加するにつれて、公益社は、地域密着型の会館展開を行います。1988年から株式上場に向けた組織改革・制度改革を進め、1994年に大阪証券取引所市場新二部に株式上場、翌年、市場第二部に指定替え。
1995年に発生した阪神・淡路大震災では、100人を超えるスタッフ体制で震災後の救済活動にあたりました。

2000年に東京証券取引所市場第二部に株式上場、翌年、東京・大阪証券取引所市場第一部に指定替えとなります。
グループの総合力強化に取組み、さらに2005年に株式会社葬仙を完全子会社化、翌年、株式会社タルイを完全子会社化します。また、現在のサービスのもとを次々と生み出していきました。2001年、個人会員制度「プレピオクラブ」、エンバーミング(故人のお元気だったころのおもかげを取り戻す科学的な技術)、2003年には遺族サポート「ひだまりの会」をスタートしました。
2004年に「燦ホールディングス」に商号変更、持株会社となり、会社分割により新たに設立した株式会社公益社が葬祭事業および運輸事業を継承しました。
2009年には、「10年ビジョン」を策定、新たなグループの経営理念および行動規範のもと、「第I期中期経営計画」がスタートしました。
